現在Nasskaで開発中の[es-node]に関わらしていただいているオックナーモと申します。
主にシナリオ(サブ)や雑用などを担当させていただいております。
現在Nasskaではバージョン管理ソフトを使用して開発を行っており(詳しい説明はいつかアナル零sさんがされると思いますので割愛させていただきます・・)簡単に言うと他の方の作業が常に可視化されています。
そのため他の人の進捗状況を全体で把握可能な風通しの良い環境となっております。
他の方の作業状況を見るのは大変作業の励みにもなるので、音楽やシナリオなど進んでるなと思いながら時々シナリオを読んだりBGMを聞いてみたりさせていただいています・・・。(グラフィックの方にもぜひもっと活用していただきたいです・・・)
そこで今回はes-nodeの初稿、衿子ルートの最後のあたりを読んだ感想などを書かせていただきたいと思います。
(一応内容は秘密ですので具体的内容などについては伏せさせていただきます。)
私はこのシーンに実は正直かなり不満があるので、それについて書かせていただこうこうかと思います。まあこのようなところで文句を書くと陰口をたたくようであまり気分がよろしくはないのですが、これはもっと他の方にもシナリオを熟読していただくという意味もあるので仕方がありません。
さてシナリオライターのシナリオライターたる所以とはなんでしょうか?
それはプロットを文章に起こすということだけではないはずです。
プロットで読むと味も素っ気もない出来事なのに、それを微に入り細をうがって豊かに表現することで、読まれる方にそれが今現在実際に起こっているかのようにお伝えする事こそがシナリオライターの仕事だと思います。
そしてまた創作物がフィクションである以上は実際に起こらないことを「起こったかのように」表現しプレイヤーに体験してもらうことこそがシナリオライターの本願では無いでしょうか?
だとするならば、プレイヤーに必要とされていない「リアリズム」に従って表現をおこない、興ざめな現実をプレイヤーに思い起こさせてしまうことよりも、時には現実にはあり得ない表現を駆使してでも「存在しないフィクション」を彩る事こそが必要とされます。
そのため、時には5分で行われることを何千字も費やして表現したり、主人公が完全なる初心者であるのに突然熟練者かの様に振る舞いだしたしたり・・・またセリフなども現実に言ったら笑ってしまうような表現をする必要が出てくるのです。
リアリズム至上主義者が嗤ってしまうような、そんな表現をする作品をここをご覧になられた方はすでにいくつかご存じでしょうし、そこでしか表現されえない事があることもきっとご存じかと思います。そしてそれを嗤い飛ばさ無かったあなたが、それらの作品から感動を得たのだとすればその巡り合わせはすばらしいものなのではないでしょうか。
そして所詮は同人のシナリオとはいえそのような工夫は厭うべきではないと思います。
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そうつまり、たとえリアリズムが「あっ・・はっ・・!あっ・・!」という表現を要求しようと、「あっ、んあっ・・・とら、ああんっ・・・んんっ・・・気持ち、いい、よぉっ・・・・・・」と表現を選択するべきではないのか・・・というお話でした。
あとちょっと短いかな。
*文章中に引用した表現は開発中のもので実際の内容とは異なる場合があります。
*今後この記事はおそらく政治的理由で消去される可能性があります。